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京都地方裁判所 昭和51年(行ウ)18号 判決 1983年9月09日

京都市左京区下鴨宮崎町一六六番地の一〇

原告

笠松君子

同所同番地

原告

笠松高行

東京都荒川区東日暮里五丁目一一三六番地

原告

坪井英子

原告ら訴訟代理人弁護士

谷村和治

京都市東山区馬町通東大路西入新シ町

被告

東山税務署長

福田法夫

指定代理人検事

長野益三

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら

(主位的請求の趣旨)

被告が、昭和四四年四月二六日、訴外亡笠松高光に対してした昭和四〇年分ないし昭和四二年分(以下本件係争年分という)の所得税の更正処分及び加算税賦課決定処分(裁決によって一部取り消された後のもの)を取り消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

(予備的請求の趣旨)

被告が、昭和四四年四月二六日、笠松高光に対してした、

(一) 昭和四〇年分の所得税の更正処分及び重加算税賦課決定処分(裁決によって一部取り消された後のもの)のうち、所得税額一一九〇万七九一八円、重加算税額一六七万七〇〇〇円を超える部分

(二) 昭和四一年分の所得税の更正処分及び重加算税賦課決定処分(裁決によって一部取り消された後のもの)のうち、所得税額六〇七四万五〇七〇円、重加算税額一四五七万九二〇〇円を超える部分

(三) 昭和四二年分の所得税の更正処分及び重加算税賦課決定処分(裁決によって一部取り消された後のもの)のうち、所得税額七一二六万九八〇〇円、重加算税額一七七六万九九〇〇円を超える部分

を取り消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決。

二  被告

主文同旨の判決。

第二当事者の主張

一  原告ら

(一)  笠松高光は、京都市東山区七条通大和大路角で、救急指定の大和病院を主宰し、その管理運営を行っていた医師であるが、昭和四九年九月五日死亡し、原告笠松君子がその妻として、原告坪井英子、同笠松高行がその子として、遺産相続によってその権利義務を承継取得した。

(二)  笠松高行は、被告に対し、本件係争年分の所得税について、青色申告によって次のとおり確定申告、修正申告、再修正申告をした。

(1) 昭和四〇年分(円)

<省略>

(2) 昭和四一年分(円)

<省略>

(3) 昭和四二年分(円)

<省略>

(三)  被告は、昭和四三年三月三〇日付で、笠松高光に対し、昭和四〇年分について六万二八〇〇円、昭和四一年分について六万一一〇〇円の過少申告加算税の賦課決定処分をした。

被告は、昭和四四年四月二五日付で、笠松高光に対し、笠松高光の昭和四〇年以後の青色申告承認の取消処分をし、同月二六日付で、同人に対し、次のとおり、更正処分及び重加算税賦課決定処分をした。

<省略>

(四)  笠松高光は、昭和四四年五月二〇日、被告に対し異議の申立をしたところ、被告は、三か月以内に異議決定をしなかったため、右異議申立は、同年八月二一日、審査請求と看做された。

国税不服審判所長は、昭和五一年八月三一日、次の裁決をし、そのころ、裁決書を、原告らに送達した。

<省略>

(主位的請求の原因)

(五)  被告が昭和四四年四月二五日付で笠松高光に対してした青色申告承認の取消処分は、無効である。すなわち、

青色申告承認を取り消した通知書には、取消処分の基因として旧所得税法一五〇条一項三号該当と記載しただけであり、同法が明文をもって附記を要求している「取消処分の理由」を附記しなかった。これは、青色申告制度の趣旨に鑑み重大かつ明白な瑕疵であるから、右取消処分は無効である。

そうすると、笠松高光の本件係争年分の更正処分をするには、笠松高光を、青色申告承認をえたものとして取り扱わなければならない。それにも拘らず、更正処分等通知書には、旧所得税法一五五条二項により要求されている更正処分の理由が附記されていない。したがって、更正処分は、違法であるから、取り消されるべきである。

(六)  仮に、右青色申告承認を取り消したうえ、その翌日に青色申告書以外の申告書(所謂白色申告書)と看做して理由を附さず更正処分を行ったものである。

しかし、右青色申告承認取消処分とこれに結合する更正処分は、一連の行為として把握すべきであるから、結局更正処分は、青色申告書に対する更正処分と看做されることになる。そうすると更正処分には法が明文をもって附記を命じた理由の記載を欠くものであるから違法であり、更正処分は、この点で取消しを免れない。

そこで主位的請求の趣旨記載の判決を求める。

(予備的請求の原因)

(七)  被告が、昭和四四年四月二六日付で笠松高光に対してした更正処分(裁決によって一部取り消された後のもの。以下本件更正処分という)及び重加算税賦課決定処分(以下本件賦課処分という)は、笠松高光の本件係争年分の事業所得を過大に認定した違法がある。

(八)  結論

原告らは、被告に対し、主位的に、本件更正処分と本件賦課処分の取消しを求め、予備的に、本件更正処分と本件賦課処分を、予備的請求の趣旨第一項掲記の金員を超える範囲で取消しを求める。

なお、原告ら主張の事業所得金額であった場合の所得税額と、重加算税額は、次のとおりになる。

<省略>

二  被告の答弁と主張

(認否)

(一) 本件請求の原因事実中、(一)ないし(四)の各事実は、認める。

(二) 同(五)ないし(七)の主張は、争う。

(主張)

(一) 青色申告承認取消処分の理由記載不備の違法は、取消事由であって、無効事由には、当たらない。

笠松高光は、青色申告承認取消処分に対し、国税通則法所定の期限内に不服申立をしなかったから、同処分は、有効なものとして確定している。

(二) 笠松高光の、本件係争年分の事業所得金額は、別表1ないし3の各1のいずれも被告主張額欄に記載したとおりであり、それ以外の所得金額(不動産所得については資産合算後の金額)は、次のとおりである。

<省略>

そこで、争いがある事業所得金額について分説する。

(1) 昭和四〇年分(別表1の1)

<1> 収入金額のうちイ医療収入

この内訳は、別表1の2に記載されたとおりであり、このうち、自由診療等収入は、別表1の2に記載した方法によって算出した。すなわち、

 月別入金額(現金・小切手)

原告笠松君子が記帳していた手帳(自由診療収入・被保険者負担金収入・その他診療業務にかかる日々の現金収入を記載したもの)により算出した。

 被保険者負担金の現金入金額算出過程

前記欄記載の金額のうちには被保険者負担金収入額も含まれているため、これを除く必要がある。

しかし被保険者負担金収入額は発生額で記帳されているため入金額に換算する必要上、期首、期末の未収入金の調整を行い被保険者負担金の期中入金額を算出した。

 自由診療等の入金額

前期欄の総入金額から前期欄の被保険者負担金入金額を差引いた金額であり、自由診療収入その他診療業務にかかる現金入金額である。

 自由診療等の収入金算出の過程

自由診療等入金額を期首、期末の未収入金で調整し、期中発生収入金に換算した。

<7> 経費

この内訳は、別表1の3に記載したとおりである。

ただし、同表は、争いのある分だけが記載されている。

<8> 事業所得金額

笠松高光の昭和四〇年分の事業所得金額は、別表1の1に記載した七五一三万七七八三円であるが、この額は、本件更正処分のそれ(裁決では七二七九万七七八八円と認定)を上回る額である。

(2) 昭和四一年分(別表2の1)

<1> 収入金額 三億三〇〇六万四一七三円(当事者間に争いがない)

<7> 経費

この内訳は、別表2の2に記載したとおりである。

ただし、同表は、争いのある分だけが記載されている。

<8> 事業所得金額

笠松高光の昭和四一年分の事業所得金額は、別表2の1に記載した一億〇八七五万九九三五円であるが、この額は、

本件更正処分のそれ(裁決では一億〇一九七万三一四五円と認定)を上廻る額である。

(3) 昭和四二年分(別表3の1)

<1> 収入金額 三億八三八二万六七〇七円(当事者間に争いがない)

<2> 経費

この内訳は、別表3の2に記載したとおりである。

ただし、同表は、争いのある分だけが記載されている。

<8> 事業所得金額

笠松高光の昭和四二年分の事業所得金額は、別表3の1に記載した一億二三〇三万七七四七円であるが、この額は、本件更正処分のそれ(裁決では一億一九六七万三一九八円と認定)を上廻る額である。

(三) 以上の次第で、本件更正処分は、笠松高光の本件係争年分の事業所得金額を下廻るし、その他の所得については、当事者間に争いがないから、本件更正処分は、笠松高光の所得を過大に認定した違法がないとしなければならない。

(四) 本件賦課処分について

(1) 笠松高光は、自由診療収入、保険収入の一部を除外して、架空名義の定期預金にしていた。これは、所得税を故意に免れるための不正手段として典型的なものであって、これが、国税通則法(昭和五四年法律第八号により改正される前のもの)六八条一項にいう「事実を隠ぺいし、または仮装」する行為に該当することは、明白である。

(2) そうして、笠松高光は、隠ぺいまたは仮装したことに基づいて本件係争年分の確定申告をした。笠松高光は、修正申告、再修正申告をしたが、税額等の計算の基礎となるべき事実の全部または一部を隠ぺいまたは仮装したことに変わりがない。

(3) 被告が、更正する際認定した笠松高光の本件係争年文の所得を基礎に重加算税を算出すると、別表4の1ないし5のとおりになる。そうすると、本件賦課処分(裁決では、昭和四〇年分一一五二万一五〇〇円、昭和四一年分一六三八万一五〇〇円、昭和四二年分二〇六四万九〇〇〇円に変更)は、別表4の1ないし3の重加算税額を下廻ることになるから、本件賦課処分は、適法である。

三  原告らの反論

(一)  笠松高光の本件係争年分の事業所得金額は、別表1ないし3の各1の各原告主張額欄に記載した額である。事業所得金額以外の所得金額が、被告の主張(二)のとおりであることは、認める。

(二)  昭和四〇年分の医療収入のうち、別表1の2の自由診療収入等をのぞき、同表のその余の収入額は認める。

自由診療収入は、被告の主張する六四九七万八二九六円から、原告笠松君子所有の現金三六三八万四二六七円を控除した二八五九万四〇二九円(カルテに従って作成した入金伝票((甲第一四ないし第二六号証))によって計算した額)である。

笠松高光が、自由診療収入の一部を売上除外していたことは認めるが、これとは別に、原告笠松君子は、結婚前から真珠販売などによって得た手持金六二〇〇万円を持っており、これを昭和三二年から昭和三九年ころまで訴外幸信産業株式会社(以下幸信という)及び訴外藤田三郎に融資していたことは、紛れもない事実である。同原告は、昭和三八年から昭和四一年にかけて、その融資額元利合計一億〇九六八万〇一五〇円を回収し、毎日五万円ないし一〇万円あて、笠松高光の自由診療収入の一部除外金に混入した。

したがって、乙第一号証の一の手帳や同第一四号証のグラフは、右除外金を把握する資料にはならないものである。

自由診療収入は、カルテによって全部把握することが可能である。そして、その額は、二八五九万四〇二九円である。

(三)  笠松高光の昭和四一年分昭和四二年分の収入金額(<1>)及び差益金額(<6>)が、被告主張額欄の各金額であることは、認める。

(四)  本件係争年分の経費のうち、別表1ないし3の各1のうち、金額が一致する分は、認める。金額が一致しないものは、別表5に記載のとおりであり、これらの額は、笠松高光の本件係争年分の簿外経費として認められるべきである。

(五)  そうすると、笠松高光の本件係争年分の事業所得は、別表1ないし3の各1の原告主張額欄の<8>に記載の金額になる。

第三証拠関係

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、ここに引用する。

理由

一  本件請求の原因事実中(一)ないし(四)の各事実は、当事者間に争いがない。

二  主位的請求について

(一)  原告らは、被告が、昭和四四年四月二五日付で笠松高光に対してした青色申告承認の取消処分通知書には、旧所得税法一五〇条一項三号該当と記載しただけで同法の要求する理由が附記されていないから、右取消処分は、無効であると主張しているが、青色申告承認取消処分の理由附記に、原告ら主張の違法があるとしても、右の瑕疵は、取消処分の無効事由となるものではなく、単に取消事由となるにすぎないと解するのが相当である。そうすると、原告らのこの主張は、採用できない。

(二)  原告らは、右取消処分と、被告が同月二六日付でした本件係争年分の更正処分とは、一体であると主張しているが、両処分は、別個の行政処分であるから、青色申告承認の取消処分が、既に出訴期間の経過によって適法として扱われる限り、青色申告承認の取消処分に関する原告ら主張の搦疵が、右更正処分に影響を及ぼし、更正処分が、そのことのために無効になったり取り消されたりする理由は、全くない。

(三)  以上の理由により、原告らの主位的請求は、失当である。

三  予備的請求について

(一)  笠松高光の本件係争年分の所得のうち、事業所得金額をのぞくその余の所得金額が、被告の主張(二)のとおりであることは、当事者間に争いがない。

(二)  事業所得金額について

被告は、別表1ないし3の各1の被告主張額欄のとおりであると主張し、原告らは、同表の原告主張額欄のとおりであると主張し、それぞれの主張額が一致する部分がある。そこで、これら主張額が一致する部分は、当事者間に争いがないものとし、これら主張額が食い違う部分を、以下に逐次判断を加えることにする。

(収入)

(1) 昭和四〇年分の医療収入について

被告は、笠松高光の昭和四〇年分の医療収入の内訳が、別表1の2のとおりであると主張しているのに対し、原告らは、自由診療等収入のみを争い、その他の収入額を認めて争わないから、争点は、自由診療等収入額がいくらかに尽きる。

(ア) 成立に争いがない甲第一号証、同第三〇号証、乙第一、二号証の各一、二、同第三ないし第一〇号証、同第一一号証の一ないし五、同第一二号証の一、二、同第一三ないし第一六号証、同第一七号証の一、二、同第一八ないし第二一号証、同第二三号証、同第二四号証の一、二、同第二五ないし第二七号証、証人細見和弘の証言によって成立が認められる甲第一四号証の一ないし三四六八、同第一五号証の一ないし六一一、同第一六号証の一ないし五一七、同第一七号証の一ないし二六、同第一八号証の一ないし二七、同第一九号証の一ないし二二四、同第二〇号証の一ないし一二三、同第二一号証の一ないし四三、同第二二号証の一ないし一一七、同第二三号証の一ないし六、同第二四号証の一ないし六、同第二五号証の一ないし一二七、同第二六号証の一ないし一八、同第二七号証の一ないし一〇八、同第二八号証の一ないし二二、同第二九号証の一ないし一七、同第三一号証の一ないし七、証人松本彪(第一回)、同細見和弘、同河上他代の各証言原告笠松君子の本人尋問の結果の一部を総合すると、次のことが認められ、この認定に反する同原告の本人尋問の結果の一部は採用しないし、ほかにこの認定の妨げになる証拠はない。

笠松高光は昭和二四年、原告笠松君子と婚姻し、昭和二八年五月、二〇床の大和病院を開業した。そうして、笠松高光は、昭和三九年二月、新館(六階建)を建て、ここに旧館(三階建)とその間にある木造病棟とで、外科、内科、産婦人科を営む大病院に発展させた。新館の完成によって、収益が増大したことは、いうまでもない。

原告笠松君子は、開業以来昭和四一年末ころまで、病院収入のうち現金収入を全部把握していた。そのため、同原告は、克明にメモをつけていた。

大和病院では、昭和四〇年ころ、収入のうち、健康保険、国保保険、生活保護保険による診療については、直接各支払基金に請求してそこから取引銀行に振り込まれるようにしていたので、これらの収入は、除外することができなかった。労災保険のうち京都府下の労働基準監督署から支払われるものも、同様であった。

大和病院では、前記保険のうち本人負担分(初診料、文書料、差額ベッド代など)及び家族の負担分として窓口で現金徴収をしたものや、自費診療による現金収入(治療代、入院費)、労災保険のうち他府県の労働基準監督署から送金されてくる小切手又は国庫金送金通知書、職員が患者の未収金を回収してきた現金又は小切手分、交通事故で保険会社や運送会社が支払った小切手などのいわゆる現金小切手収入を除外し、毎日袋に入れて金額を袋の表に明記したうえ、これを原告笠松君子に届けていた。この方法は、昭和四〇年七月までであり、同年八月からは、前記のうち保険 係の現金収入分(本人負担分、家族負担分)は、白色の日計表に記入して取引銀行の預金口座に入れることにした。

同原告は、毎日届けられる現金小切手を記帳した。そのうち、乙第一号証の一、二のノートが昭和四〇年分である。同原告は、小切手を出入の銀行員に依頼して換金し、現金とともに、仮空名義の定期預金にし、これを解約したりして、不動産を購入したり株式投資の資金に充てていた。

乙第一号証の一のノートや昭和四一年分昭和四二年分のノートによると、昭和四〇年分は、合計九三四四万一〇〇一円、昭和四一年分は、一億一八四二万五三五三円、昭和四二年分は、一億一五九〇万四〇二七円になる。

大和病院での必要経費は、前述した各支払基金から取引銀行に振り込まれた口座の預金で賄われていた。

(イ) 原告笠松君子は、乙第一号証の一のノートを記帳する際、幸信及び藤田三郎にそれまで貸していた手持金六二〇〇万円の返済を受け、元利金一億〇九六八万〇一五〇円を毎日五万円ないし一〇万円あて混入して記帳したと主張し、前掲乙第一六号証(笠松君子の大蔵事務官河上他代に対する質問てん末書)や同原告の本人尋問の結果中には、これにそう供述がある。そうして、証人藤田三郎の証言によって成立が認められる甲第二号証の二ないし一〇、同第三号証や同証言によると、同原告は、幸信及び藤田三郎に昭和三二年一一月二五日から昭和三六年一一月二四日までに日歩五銭ないし五銭五厘の約束で合計六二〇〇万円を貸し、昭和三九年三月二五日までに全部の返済を受け、それまでに利息として、四七六八万〇一五〇円を受け取ったことが認められ、この認定に反する証拠はない。

しかし、原告が、この一億円からの金をノートに混入して毎日記帳したという点については、次の疑問がある。

(a) 原告ら主張のように現金収入が二八五九万四〇二九円であるとすると、昭和四一年、昭和四二年のそれがいずれも一億円を超える額であるのと比較し異常に低すぎて不自然である。

特に、新館が昭和三九年二月に出来上って、収入が著増したことと一致しなくなる。

(b) 会計を担当していた河村二夫は、大蔵事務官河上他代に対し、毎日原告笠松君子に届けていた現金小切手は、月五〇〇万円から六〇〇万円で年間七〇〇〇万円から八〇〇〇万円はあり、これは、白色の日計表に記帳して銀行預金をしていた分の三倍から四倍もあったと述べている。

(乙第一一号証の一、同第一三号証参照)。

(c) 原告らは、自由診療分の収入は、カルテを全部整理することによって明らかになるとし、その額が昭和四〇年分は、二八五九万四〇二九円であると主張しているが、前記認定のとおり、除外されたのは、自由診療分の収入だけではなく、前述した小切手や未収金の回収分などがあったのである。したがって、カルテによって集計した金額を上廻る金額が、原告笠松君子に毎日届けられたことを重視しなければならない。

(d) 原告笠松君子が、そのような混入記帳をしなければならない理由として、昭和三八年一月から離婚する必要がなく精神的に再婚したのであると述べている(前掲乙第二一号証、同原告の本人尋問の結果二九丁裏参照)。

しかし、この理由だけでは、同原告の主張によると自分の資産である筈の一億円からの金をなぜ混入記帳する必要があったのか理解できない。同原告は、夫笠松高光とは、別産制にしていたというのであれば(乙第三号証、同第九号証参照)、ますます首肯できない。

(e) 同原告は、昭和三九年三月までに藤田三郎から返済を受けた一億円からの金をどのように保管していたのかが、同原告の本人尋問の結果によっても明らかではない。

(f) 同原告は、藤田三郎に貸与した六二〇〇万円は、婚姻する前からの手持金であると主張しているが、このこと自体にも疑問があるが、この点は、おく。

(ウ) このようにみてくると、被告主張のとおり、昭和四〇年分の自由診療等収入額は、別表1の2のとおり、九三四四万一〇〇一円を基礎にして算出した六四九七万八二九六円であるとしなければならない。なお、の他府県国保(簿外)二六六万六二五三円は前掲乙第一一号証の一により、の<イ>、<ハ>の金額は、前掲乙第二四号証の一、二によって認める。

そうして、この算出方法が前記認定に照らして合理的であることは、いうまでもない。

(簿外経費・別表5の順序による)

(2) 交通費について

(ア) 成立に争いがない甲第五号証、証人松本彪の証言(第二回・以下松本証言という)中には、看護婦だけが注射のため患者の家に行くタクシー代として年間一日一五〇円として三六五日を掛けた金額一〇万九五〇〇円を、正規の帳簿につけることなく当該看護婦に手交した趣旨の記載や供述部分がある。

(イ) しかし、正規の帳簿につけないで支出すること自体極めて杜撰な会計処理であるばかりか、このタクシー代は、往診代として患者に請求できる筈のものであるから、特にこの交通費を簿外経費として認めるわけにはいかない。

(3) 広告宣伝費について

(ア) 前掲証拠中には、別表5の注4にそう記載や供述部分がある。

(イ) しかし、これを裏付ける領収書の提出が一切ないし、正規の帳簿(乙第二三号証)にも、観劇キップ代として記帳されているものがあり、簿外にする必要性が判然としない。

そのうえ、被告は、原告ら主張のタクシー会社などの事故係への心付け、患者紹介者への謝礼を、その他と合わせて本件係争年分の各年分ともに二八〇万円を簿外接待費として本件更正処分をする際認容したと主張し、原告らは、この認容額を争っていないのである。

このようなわけで、原告ら主張の広告宣伝費を、簿外経費として認めるわけにはいかない。

(4) 修繕費について

(ア) 前掲証拠中には、病院内の補修の中で営繕係員の手に負えないものは、古くからの患者である広部、匹田、三上及び音嶋らに余暇を利用して修繕して貰い簿外から支払った趣旨の記載や供述部分がある。

(イ) しかし、匹田、三上及び音嶋が、病院の雇人であることは、弁論の全趣旨によって認められるから、これらの者には、給料の支払がなされた筈であるし、そのうえ、これらの者に支払ったことの裏付けとなる領収書の提出がないし、正規の帳簿の修繕費勘定の中に入っている可能性がある。

このようなわけで、原告ら主張の修繕費を、簿外経費として認めるわけにはいかない。

(5) 福利厚生費について

(ア) 前掲証拠中には、別表5の注8にそう記載や供述部分がある。

(イ) しかし、これらの支出を裏付ける領収書などの提出がないし、簿外としなければならない理由が見当たらない。

そのうえ、正規の帳簿には、夜食代及び正月の年玉は、福利厚生費、雑費の勘定に計上されている。

そうして、松本証言によると、笠松高光が、その好意から、ポケットマネーを振るまったことが認められるのである。

このようなわけで、原告ら主張の福利厚生費を簿外経費として認めるわけにはいかない。

(6) 衛生費について

(ア) 前掲証拠中には、別表5の注9にそう記載や供述部分がある。

(イ) しかし、支払先、支払年月日及び金額が明らかでないし、その支出を裏付ける領収書の提出がないし、簿外にする必要がないから、正規の帳簿の消耗品費勘定に記載されている可能性が高いといえる。

ゴミ回収業者、おわいやに対し謝礼を出すのが慣習であったと主張しているが、そのような慣習があったことや、その慣習の内容が認められる的確な証拠はないし、給食用の食器類を購入するのに、簿外で支払わなければならない必要は、どこにもない。

なお、被告は、本件更正処分時、笠松高光の要求により、原告笠松君子が購入したカーテン等を、消耗品費勘定として、昭和四〇年分五〇万円、昭和四一年分及び昭和四二年分各六〇万円を、簿外経費に認容したと主張し、原告らは、この認容額を争っていない。

このようなわけで、原告ら主張の衛生費を、簿外経費として認めるわけにはいかない。

(7) 事務用品費について

(ア) 前掲証拠中には、別表5の注6にそう記載や供述部分がある。

(イ) しかし、二万六〇〇〇円も支出したのであれば、当然領収書を徴したと考えられるのに、原告らは、それを提出していないから、これを、簿外経費として認めることは、無理である。

なお、被告は、本件更正処分時、五〇万円を一括して簿外の消耗品費として認容したと主張し、原告らは、この認容額を争っていないのである。

(8) その他雑費について

(ア) 前掲証拠中には、別表5の注10にそう記載や供述部分がある。

(イ) しかし、正規の帳簿には、盗難に対する弁償の記載がある(乙第二三号証の雑費の項No.6参照)のに、このほかに簿外で弁償したとするのは、会計処理上疑問である。

そのうえ、原告らが主張するように、盗難が頻発したことが認められる証拠がないし、何時いくらの弁償をしたかが認められる証拠もない。

松本証言中には、昭和四〇年に医療訴訟の示談の際、裏金で六〇万円を上乗せした分があるとの供述部分があるが、表であろうと裏であろうと、領収書の徴収が可能であるのに、そうしなかったのであるから、松本証言だけで、その支出を雑費として、簿外経費にあげるわけにはいかない。

このようなわけで、原告らの主張する雑費を簿外経費として認めるわけにはいかない。

(9) 給与・賞与について

松本証言によると、別表5の注1に掲記された給与・賞与の対象者は、看護婦及び事務職員であり、その裏付けとして、甲第六号証(吉岡一枝)、同第七号証(細見和弘)、同第八号証(河村二夫)、同第一〇号証(松本都久子)を提出している。しかし、これらの書証が作成されたのは、昭和五〇年九月二五日であるから既に一〇年も経過した後に作成されたものであるし、書証の形式が一様になっているのである。したがって、これら書証の正確性には疑問があるから、直ちに右支払事実の裏付けとするわけにはいかない。そのうえ、対象者とされている勢馬某は、昭和四〇年七月に退職しているのに、注1の表では、本件係争年分に賞与が支払われたことになっている。そうすると、この表は、杜撰であり、真実この表のとおり支払われたとするわけにはいかない。

このようなわけで、原告らの主張する給与・賞与を簿外経費として認めるわけにはいかない。

(10) 什器・備品費について

前掲甲第五号証、松本証言中には、別表5の注11にそう記載や供述部分がある。

しかし、その主張自体個別具体性が全くないし、これらの支出を、簿外とする必要が全くない。

そうすると、原告ら主張の什器・備品費を、簿外経費として認めるわけにはいかない。

(11) 図書費について

(ア) 前掲証拠中には、別表5の注7にそう記載や供述部分がある。

(イ) しかし、これら図書費、花代の支払日時、支払先、支払代金額の特定がないし、その裏付けとなる領収書の提出がない。

正規の帳簿(乙第二三号証)には、購読図書費勘定に書籍、雑誌類の支払が、消耗品費及び雑費勘定に花代の支払が、夫々計上されているのであるから、原告ら主張の図書費、花代も、この正規な帳簿に計上できた筈である。それが計上されていないのは、店主勘定(個人生活費)であるとみる余地がある。

このようなわけで、原告ら主張の図書費を簿外経費として認めるわけにはいかない。

(12) 研究費について

別表5の注1の下段に記載された研究費の支払先として掲げられた富田医師、元山医師、夏秋医師が、大和病院のためどのような研究をし、そのため笠松高光が、唯に何時どれだけの研究費を支払ったのかが、一切判らないし、その裏付けになる領収書の提出もない。とりわけこれらの医師が、本件係争年分中、大和病院の勤務医ではなかったことが弁論の全趣旨によって認められるのである。

別表5の注15に記載された分は、本件係争年分当時は、貸切りの研究費ではなく貸付金であった(前掲乙第七号証、同第九号証参照)。

このようなわけで、原告ら主張の研究費を、簿外経費として認めることはできない。

(13) 家賃について

笠松高光が、自宅横の原告笠松君子所有建物を看護婦寮として借り上げ、一か月五万円あての賃料を支払ったものを、簿外経費として主張している。

しかし、同原告と笠松高光とは、生活を一にする配偶者であるから、仮にそのような支払がなされたとしても、所得税法五六条により、笠松高光にかかる事業所得金額の計算上は、必要経費に算入されないことが、規定上明白である。

そうすると、原告らの主張は、採用できない。

(14) 貸倒金について

前掲乙第九号証によると、別表5の注16 に記載された債権は、いずれも知人、友人への貸付金であって、所得税法五一条二項にいう「事業の遂行上生じた債権」といえないものであるから、このような債権の貸倒は、笠松高光の事業所得金額の計算上必要経費に該当しないとしなければならない。

そうすると、原告らの主張は、採用できない。

(15) 院長機密費について

前掲甲第五号証には、括弧がしてあり、別表5の注2は、「支払先は京都府立医科大学長谷川教授等であると聞いている。」と曖昧な表現に終っている。

そうすると、このような曖昧なものを、簿外の必要経費として認めることは、到底無理である。

(16) 引留料について

前掲乙第七号証、成立に争いがない甲第一二号証によると、笠松高光は、児玉医師に対し、原告ら主張の日に合計二五〇万円を、一〇年間勤務したときには返還を必要としない口約束で貸与したことが認められ、この認定に反する証拠はない。

そうすると、この貸金は、本件係争年分では、まだ貸金の性格をもっていたのであるから、これを必要経費として計上することは、税法上無理である。

前掲乙第九号証によると、和田医師に対し原告ら主張の日に一五万円を貸与したことが認められ、この認定に反する証拠はない。したがって、前と同じ理由で税法上必要経費にならないとしなければならない。

(まとめ)

以上の次第で、原告らと被告との間で食い違う部分は、すべて、被告の主張が正当である。

(三)  笠松高光の本件係争年分の事業所得金額が、原告主張どおりの金額であり、事業所得金額以外の所得金額が、被告主張どおりであることは、当事者間に争いがないから、これを基礎にして笠松高光の本件係争年分の税額を算出すると、被告主張の税額つまり被告が昭和四四年四月二六日付でした更正処分の税額になることは、計算上明らかである(その計算方法について、別表4の1ないし5を参照)。

(四)  本件賦課処分について

笠松高光が、事業所得金額を故意に除外し、過少の確定申告をしたことは、前に認定したとおりであるから、これが、国税通則法六八条一項にいう「事実を隠ぺいし、または仮装」したものであることは、いうまでもない。

そうすると、本件賦課処分は、適法であり、取り消すべき瑕疵はない(その算出方法は、別表4の1ないし5を参照)。

(五)  まとめ

以上の次第で、本件更正処分及び本件賦課処分は、当裁判所が認定した所得を下廻く額を前提としてされたものであるから、笠松高光の所得を不当に高く見積って課税処分をしたものではなく、いずれも適法であり、原告らの本件予備的請求は、失当である。

四  むすび

原告らの主位的請求、予備請求は、いずれも失当であるから棄却し、行訴法七条、民訴法八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 古崎慶長 判事 小田耕治 判事補 西田真基)

別表1-1

昭和40年分事業所得金額の計算

<省略>

別表1-2

昭和40年分

<省略>

自由診療等収入金の計算表(単位、円)

<省略>

別表1-3 昭和四〇年分経費(但し争いのあるもの)

<省略>

(注) 給料内訳

<省略>

別表2-2 昭和四一年分経費(但し争いのあるもの)

<省略>

(注) 給料内訳

<省略>

別表2-1

昭和41年分事業所得金額の計算

<省略>

別表3-1

昭和42年分事業所得金額の計算

<省略>

別表3-2 昭和四二年分経費(但し争いのあるもの)

<省略>

(注) 給料内訳

<省略>

別表4-1

課税の経緯と加算税の算出過程(昭和40年分)

<省略>

別表4-2

課税の経緯と加算税の算出過程(昭和41年分)

<省略>

別表4-3

課税の経緯と加算税の算出過程(昭和42年分)

<省略>

別表4-4

資産所得合算のあん分税額計算表(その1)

<省略>

別表4-5

資産所得合算のあん分税額計算表(その2)

<省略>

別表5 簿外経費一覧(差額分)

<省略>

注1 給与、賞与、研究費

<省略>

非常勤医師(大学関係)、幹部看護婦、幹部事務職員等現職者に支払ったものである。

公表できなかった理由として、売上金の除外のほか組合活動の激化が直接の原因である。

注2 院長機密費

現職医師ならびに非常勤医師の確保には非常な努力と、特に政治力を必要とし、そのために院長が使った費用で支払先は京都府立医科大学長谷川助教授等であると聞いている。

注3 交通費

看護婦が患者宅へ赴くときの車代は患者が負担すべきものであるが、出発の際、一応会計窓口より支出手続をとらないまま急ぎ現金を受けとり、タクシー等を利用したもので、領収証を徴することのできなかったものである。

注4 広告宣伝費

患者を紹介してくれた人や、古くから当病院利用の患者等に現金一、〇〇〇円ないし五、〇〇〇円を支払い、又、南座、歌舞練場の観劇切符を配布していた。

タクシーにて急患を搬入してくれた運転手にもチップとして五〇〇円の現金を支払っていた。

毎年地方より就職してくる看護婦の父兄を京都見物に招待しており、三〇〇、〇〇〇円の経費を簿外から支出した。

大和病院のネーム入ふろしき(@二五〇円×三〇〇ケ×5回)、ライター(@一、三〇〇円×一〇〇ケ)を製作配布した。

注5 修繕費

病院内の補修の中には営繕係員の力では到底処理できないものがある。古くからの患者で、余暇を利用してアルバイトできる大工、鉄工、ペンキ屋、植木屋にそれぞれ年間二〇〇、〇〇〇円、五〇、〇〇〇円、五〇、〇〇〇円、一五〇、〇〇〇円の簿外日当を支払い、廉価にそ修繕をさせていた。

注6 事務用品費

救急患者受付用としてパーカー万年筆@一、三〇〇円×二〇を事務職員に配布した。

注7 図書費

待合室における患者の待時間が長いため、患者サービスの意味で週刊誌(週一〇冊)雑誌(月間一〇冊)単行本(月間二〇冊)グラフ類(週5冊)を購入した。

患者サービスの花代(待合室、ろう下)も毎日五〇〇円前後を必要とした。

医局に置いてある医学書籍はすべて院長が出勤の途上で本屋に立寄り購入して、常勤、非常勤の医師の専門知識の研究に役立てた。それは月額一五、〇〇〇円程度である。

注8 福利厚生費

救急当直者(医師、看護婦、X線技士、事務職員等)に対して院長のポケットマネーより一週間に2回ないし三回一、〇〇〇円ないし、二、〇〇〇円前後の夜食代を支給していた。

深夜のお産、手術等の時、簿外の謝礼一、〇〇〇円ないし二、〇〇〇円を看護婦に渡していた。

又救急病院の性格上、正月三ケ日も休診できず、勤務に当った職員並びにその子弟に五〇〇円ないし一、〇〇〇円の出勤手当(お年玉)を支給していた。

注9 衛生費

病院で消耗するモップ、雑布、カーテン地、手術着地は市価より廉価に入手することができるものは簿外にて購入していた。

又、ゴミ回収業者、おわいや(切断された手足、胎盤、胎児)は別に簿外にて謝礼を出すのが慣習となっていた。

給食用の食器類はよく盗難、破損し、廉価で購入できるものは簿外で購入した。

注10 雑費

院内が混雑するため、下足、傘、時計、ラヂオ、衣類、現金の他見舞品に及ぶまで実に多種の金品の盗難が頻発した。高価なものは松原署に盗難届を提出していたが、少額の場合は届出をせず、ほとんど病院が補償していた。この費用は全額簿外にて出費を余儀なくされていた。

患者補償は病院の名誉を守るためにも公表に記載できず簿外にて支払っていた。

注11 什器備品費

特別室、医局、院長室に置いてある電気スタンド、患者用の電気コタツは、盗難、故障、紛失等の事故があり、蛍光灯の球なども市価より安いものは諸都合で簿外で購入していた。特にこの費目は多種多様に亘り期中消耗されてしまったものが多い。

注12 家賃

自宅横の笠松君子所有の建物を看護婦寮に借り受け、賃料月額五〇、〇〇〇円、年間六〇〇、〇〇〇円を笠松君子に支払った。(申告済)

注14 引留料

<省略>

注15 渡米研究費・学位取得研究費

<省略>

注16 貸倒金

<省略>